若い頃は、体の中から何かが溢れて苦しくてどうしようも無かった。
体の中にある重要なことを1ミリも歪むことなく相手に伝えたくてもがいて泣いていた。
どんな言葉が適切で、どれくらいの音量で、どれくらいの質感が今の自分にしっくりくるのか、、、、
本をたくさん読んだ。
小説や、詩集や、啓発本、、、etc
日記をつけて、詩を書いた。
近いものはいくつも見つかるが、真ん中を貫く言葉はその辺にはなかった。
そして気づいたことは、
言葉が私の口から飛び出した途端、
それは形を変えて相手の耳に届く頃には全く別のものになっていたりする。
他人と自分の距離。
その分だけ形が変わる。
そしていつしか諦めて真ん中の言葉を音にする努力をやめた。
自分と、誰か他人が加わることでそれはそれでなくなってしまう。
言葉に限らず、音楽も、絵画も、風景も、
他人を介することで、元の形はまんまと壊れてしまう。









友人と、絵本を作ろう。
と話している。
私は文章を担当する。
そんな私が文章に向き合う。
誰も望んでいなくても、自分が納得する言葉。
真ん中の言葉。
誰かの真ん中を射抜く言葉はきっと多くの人の真ん中を射抜くんだろうと思う。
まずは自分の真ん中を射抜こう。
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